ポケモンアニメの新シリーズが放送されました。
今回の新シリーズは、サトシのピカチュウ誕生の物語が描かれましたが、謎が残る結果になっています。
サトシのピカチュウ誕生の物語
ポケモンアニメの新シリーズは、タイトルがサブタイトルのない「ポケットモンスター」であり、新たな主人公も追加されることなどから、また1からの再スタートのような形になっています。
今回、このような状態で始まるからか、初代の第1話の前となる「0話」的なものが、新シリーズの初回に放送されました。
その内容は、「ピカチュウ誕生!」というものです。
「ピカチュウ誕生!」の話は、ピカチュウが「サトシのピカチュウ」になる前の時代の話です。
初代の第1話が放送された当時は、「ピチュー」というポケモン自体、存在していなかったこともあり、サトシのピカチュウは最初からピカチュウの状態だったと考えられていましたが、今回のアニメ新シリーズでは、それが否定され、ピチュー時代もあったと再定義されています。
ピチューはガルーラになついて進化
ピチューがピカチュウに進化するためには、ポケモントレーナーに「なついている」必要があります。
このため、今回の話では、これまで知られていなかったポケモントレーナーが登場し、そこでピチューはピカチュウへと進化したのかとも予想されていました。
しかし、後に「サトシのピカチュウ」になるピチューは、ガルーラの親子と共に生活する中で、親ガルーラになつき、その結果、進化したということになっています。
また、今回のアニメでは、ガルーラの親子から独り立ちすることを決意したときに、ピチューからピカチュウへと進化しており、そのシーンが感動的だったと評価されています。
謎が残って、映画化希望?
ポケモンアニメのサトシのピカチュウは、このように、ガルーラの愛でピチューからピカチュウへと進化しています。
この時代のピチューは、ガルーラに出会った後はもちろん、出会う前も孤独ではあったものの、性格は別に悪くなかった感じで描かれています。
しかし、初代のポケモンアニメの第1話でサトシと出会うピカチュウは、「性格に難がある」状態で登場して来ます。
今回の「ピカチュウ誕生!」の話は、ピチューがピカチュウになり、ガルーラ親子の元を離れるまでが描かれていましたが、その後、なぜオーキド研究所にいる状態になったのかは描かれていません。
このため、サトシと出会った当時のピカチュウが、人間嫌いだった理由などの謎は残ったままです。
ガルーラの元を離れた時は、あんなにいい子だった「ピチューから進化したピカチュウ」が、なぜ反抗的なポケモンになってしまったのか。
その原因は、オーキド研究所に来る前に、他のポケモントレーナーに嫌なことをされたから・・・、というようなところが想像できますが、せっかくここまで描いたのなら、ピチューとガルーラの話を含めて、オーキド研究所に来ることになった経緯を、エピソードゼロ的にまとめて映画で観たいような気もするかもしれません。
なお、今回のポケモンアニメの新シリーズは、また1からのスタートっぽい感じではありますが、上のように、これまでの冒険の「成果」も存在する状態になっているので、パラレルワールドというわけではないようです。
ただ、このあたりも、ポケモンのゲーム本編の時系列と同じく、あまり考えても意味はないと思われます。
コメント
ホントこれ
サトシのピカチュウがグレタ理由が知りたかった
てか、ジョウト以前のバッジは何処?
明確に決めてないんだろうけど
心ない人たちにいじめられボロボロになったところを誰かにオーキドのとこに運び込まれたんでしょ
そんな感じ以外には出来なさそうだからわざわざ描かずにあえてピチューから進化をネタにしたんだと思うけど
一人一人の想像にゆだねれば良くない?
つーか当時のスタッフが考えていないことを後のスタッフが付け足すってのがねぇ…
ピカチュウ誕生秘話(タイトル通り)
タイトル通り過ぎて視聴者ブーイング
それよりも第一話でゴウやコハルたちにサトシのことをよく知ってる風に説明してた
オーキド博士がピカチュウ受け渡しのときにそっけない態度だったほうが気になったw
長く続きすぎてるアニメやマンガだと設定の矛盾なんかよくあることなので、大騒ぎして
まで叩くようなものではないと思いましたけどね…当時のスタッフもまさか20年以上続く
なんて想定して制作していたわけじゃないし
成果も存在する(ただしホウオウにあったことやフウラシティに行ったとは言ってない)
どう映画版とつなげていくのでしょうかね、
ドラゴンボール超のように映画回とか本編に入れんのかいな?
いずれは全てが明かされるかな..。
ロケット団かな
ゲーム上では「システム」として用意されている「なつき進化」に、生き物の生態として説明がつく具体的な背景が付いたようですごく好きな話。
ゲーム上ではトレーナーは「おや」とも表示される。その対象は何でも良くて、進化は一人前となった証のようなものなのだろうな。